
2024年公開
出演:ラジニカーント
アミターブ・バッチャン
ファハド・ファーシル
リティカ・シン
ラーナー・ダッグパティ
マンジュ・ウォリアー
監督:T・J・ニャーナヴェール
時間: 172分
言語: タミル語+英語字幕
媒体: スクリーン
あらすじ
数多の犯罪者を「エンカウンター」と呼ばれる即時射殺で退け、民衆から絶大な支持を集める警視アディヤン。彼の行為はしばしば「法を超えた正義」と見なされるが、インド国家人権委員会の判事サティヤデーヴは、その暴走に警鐘を鳴らしていた。
そんな折、真摯に教育に取り組む公立学校教師サラニャがチェンナイで何者かに惨殺され、社会は大きな衝撃を受ける。怒りに燃える大衆を前に、政府は特殊捜査チームを結成し、凶器を隠し持っていた男グナを逮捕するが、彼は拘留中に逃亡してしまう。事件を収束させるため、当局はアディヤンを呼び寄せ、「短時間で決着をつけろ」と命じる。しかし、この“迅速な処分”は、さらなる深刻な問題を孕んでいたのである。
いろいろ
『Jai Bhim』でセンセーショナルな話題を呼び起こし注目されたT・J・ニャーナヴェール監督が放つシリアスな社会派アクション。
映画の軸は「大衆が信じる正義」と「法の正義」が必ずしも一致しない現実をどう描くか、というところ。インドでは凶悪犯がすぐ保釈されて再犯を繰り返すことも多いから、アディヤンのようなエンカウンター警官はヒーロー扱いされる。でも、それを正義として描くだけではなく「人権」「国家のあり方」に切り込んだのはかなり挑戦的です。

そもそもインド映画って「大衆が正しいと思っていること=正義」として描かれることが多いと思う。法律では拾いきれない部分でも、大衆が理不尽に感じているなら映画の中では“理不尽”として扱われるのがセオリー。例えば対パキスタン描写なんかも、協力関係や対立関係の情勢によってニュアンスは変わるけど「インドが攻撃すること自体は是」とされる描写がよくある。それが観客の感覚に寄り添う作り方なんだよね。それは理解できる。だからこそ、大衆の常識に“逆らう”形の作品は支持されにくいリスクもある。『Vettaiyan』はそこを正面から挑んだチャレンジングな作品であり、現実と道徳観を問う真面目な映画だと思った。
エンカウンターってアクション映画と相性がいい題材なんだよね。クライマックスでヒーローと悪役が戦って、最後に悪役が倒れる(だいたい死んでる)って展開は定番だし、銃撃戦系の映画だと大物も小物も撃たれるのも普通にある。『Dabangg』や『Singham』なんかが分かりやすい例。『Vettaiyan』も冒頭はまさにその流れに近いけど、観終わったあとに残るのは社会問題提起寄りの後味。娯楽アクションとシリアスの両輪をどう回すかがこの作品の特徴だったと思う。
さらに面白いのは、主人公アディヤンが「エンカウンター・スペシャリスト」であるにもかかわらず、物語全体はその行為そのものを問う構造になっている点。勧善懲悪が基本のインド映画で、この設定だけを聞けば「主人公=悪人側」と受け取られてしまいかねない。ラジニカーントは昔から「典型的ヒーロー像」に収まりきらないキャラを好んできた印象があるし、今回の役柄にもそうした可能性に面白みや共感した部分があったのではないかと思う。
そして、この題材を映画にできるということ自体が重要。作中で人権委員会が登場するように、インド社会には「エンカウンターは良くない」と考える層も確かに存在している。全員が全員100%賛成しているわけではない、という安心感があるからこそ、こうした作品が成立するんだろう。
ラジニカーント主演というだけで大衆映画の色が濃くなるけど、今回はそのスター性とテーマの重さがうまく噛み合わなかったらしい。ラジニファン層の一部は「スーパースターがスーパースターらしい活躍をする姿」を期待してるけど、この映画では社会問題の枠組みに縛られてしまった感がある。結果、賛否両論で興行収入も伸び悩んだらしい。挑戦的なテーマだっただけに、そこはちょっと残念。そういえば、ラジニカーントが支持した役柄と大衆が求めるヒーロー像がマッチしなかった映画他にもあった気がする…なんだっけ…(テキトー人間なのでここで考えるのをやめる)
個人的には、スーパースターにこういう問題を背負わせること自体はかなり意義があると思うし、ラジニカーントもそこを支持したのでは、って勝手に推測しております。彼の存在感があるからこそ、多くの観客がこの問題を議論の土台に上げられるんだろうし。現実と映画の距離感をどう詰めるかって、インド映画が持つ独特のダイナミズムだよね。こういうテーマを大衆向け作品でやることがやはり大事かなと思います。

アミターブ・バッチャンがタミル映画デビューというのも話題に。声の部分で最初はプラカーシュ・ラージが吹替していたけど不評で、AIでアミターブ本人の声に差し替えられたらしいです。どこまで生の声が使われていたかは謎だけど、技術的に「違和感のないAI音声」が可能ってことで、なるほどって思いました。AIが映画界の仕事・権利・作品の尊厳を奪うのは問題だけど、要は使い方なんだよなぁ…。

ラジニカーントとアミターブの巨頭が2人とも年齢・体力的にどうしても"静"に寄ってしまうなか、"動"の部分は若い俳優に託されることになるわけですが、ファハド・ファーシルがアクション多くないけどキャラクター的に"動"の要素が強めで楽しかったです。凄腕ハッカー&3枚目キャラクター。麦芽粉末直食いでええキャラしとるわ…。
リンク
社会派寄りだけどダンスはある
「Manasilaayo」作曲担当アニルド君も出演
「Hunter Vantaar」アニルド君らしい曲
予告編