2022年公開
出演:サーイ・パッラヴィ
ラーナー・ダッグバーティ
プリヤーマニ
ナンディタ・ダース
ナヴィーン・チャンドラ
監督:ヴェーヌ・ウドゥグラ
言語:テルグ語+英語字幕
時間:150分
媒体:スクリーン(Skipシティ)
あらすじ
1973年のワランガル地方で警察とナクサライトの争いの最中に産まれた村の少女ヴェンネラ(サーイ・パッラヴィ)。彼女は密かに回し読みされていたアラニヤの詩集の虜になる。そんなとき、州警察が村へ調査へやってくる。警察は村人たちがナクサライトに協力していないか疑っていた。非人道的な態度を取る警察に村人たちが恐怖を抱いたその時、ナクサライトたちが助けにやってくる。このナクサライトのリーダーこそ、詩人アラニヤことラヴィ・シャンカル(ラーナー・ダッグバーティ)だった。
ヴェンネラはいとことの結婚を強制されようとしていた。アラニヤに恋をしていた彼女は、彼のお傍に居られればあとは何もいらないと言い家出をする。ラヴィの居場所を探るが、警察に追われる過激組織であるため、彼の本当の居場所はなかなか明らかにならなかった。ヴェンネラは詩集の出版社を訪ねたり途中ラヴィの生家で一人孤独に暮らすラヴィの母親の世話をしたりしながら彼の足取りを辿る。そんな彼女の裏で、ナクサライトを追う警察の暗躍が始まっていた。
ヴェンネラを紆余曲折ありながら、やっとのことでラヴィと再会する。彼女の想いを軽く見たラヴィは彼女を一度ならず拒絶するが、想いの揺るがないヴェンネラは、最終的にナクサライトの一員として組織に参加することになる。
しかし彼女には、過酷な運命が待ち受けていた…。
いろいろ
森に潜む活動家集団ナクサライトとそれに憧れる村娘のシリアスな恋愛ドラマ。
ベースとなったのは、監督の幼いころの記憶やThumu Saralaという女性(ネタバレ:若くしてナクサライトに参加したものの、1か月後に組織に殺されてしまったといういきさつがあり)など。ですが史実というわけではなく、オリジナルストーリーだそうです。タイトルに使われているマハーバーラタ「ヴィラータ王の巻」も要素として入っているそう。個人的にはそのへんの知識がないので何ともわからんかったんですが、ミーラー・バーイのエピソードもなぞっているという。何層にもなっているお話なのですね。映画制作の折には、Thumu Saralaのご家族との交流もあったそうです。
ナクサライトについてはうーん、テルグ語圏では村を助ける義賊的なものとして捉えているのか…?インドのエリアによっては一般人がナクサライトに迷惑受けてるところもあるみたいなんだけどどうなんだろう。『Acharya』と『ハーティー 森の神』だと善っぽかったけど『Newton』だと善ではなかったんだよなぁ。
少女の恋愛ですが、そこには信仰者と神様の関係が重ね合わされていました。一般的にバクティと分類されるもので、意味は献身的信仰もしくは親愛など。南インド起源のバクティ思想は少女が少年に抱く恋心に喩えられるそうです。それ以外のなにもかもを捨てでもすべてを捧げる勢いで絶対的に身を捧げる感じ。
単なる恋愛ではなくていち個人と神様の関係のように描かれるのはインド映画の特徴の一つって言ってもいいんじゃないかなぁ。もちろん全ての映画が必ずそうなっているとは限らなくて、一部の映画は全然違うんだけれども、割合としては他の国より多い気がします。てかプロ並みに各国の映画観たわけじゃないけど、インド映画以外でそういう繋がり持っているの観たことがない。
ちなみにバクティは10世紀に南インドを中心に広がったそうですが、北のヒンディー映画にもよく描写されてます。全インドに広がったものがベースなので映画も南北関係なく採用されているっぽい感がある。あるあるなのは、恋愛のシーンの歌詞が神様へのメッセージと重ね合わされてるやつ。かなりよくある。なので南も北も同じく恋愛と信仰が深いところで繋がっているのは共通しています。
バクティ運動について説明はバクティ運動参照するといいかもです。
まあちょっと結末についてはぶっちゃけちょっと不完全燃焼なんですが、バクティ思想を考えるとこれもアリか…といったところ。
華やかな女優さんたちの中では比較的素朴な見た目のサーイ・パッラヴィが村の少女っていうのが凄くハマってます。サーイ・パッラヴィちゃん目当てで観たのでそこは満足でした。
リンク
「Nagaadaarilo」
「Kolu Kolu」
「Chalo Chalo」叫ばれてるのはナクサライトのスローガン的なやつ アラニヤが書いた詩といったところ