インド映画でちょっと休憩

インドに愛を込めて

東京国際映画祭上映「ヴィクラムとヴェーダ」と関連本「屍鬼二十五話」を読んだはなし

こんにちは、elzaです。

 

(ここで深呼吸)

 

祝!東京国際映画祭「ヴィクラムとヴェーダ」上映!

パチパチパチパチ

 

…っつーわけで、唐突に始めます。

2017年今年の東京国際映画祭で、南インドはタミルの映画「ヴィクラムとヴェーダ」(原題:Vikram Vedha)が上映されるもよう。

詳細はこちらのページ

やったね!

あ、もう10月29日の回は満席ですね!(10月24日時点)

 

「ヴィクラムとヴェーダ」のお話は、ざーーーっくり言うと警察とギャングの攻防戦なんですが、とある昔話をベースにした構成で、その辺で普通のサスペンスとはちょっと違う趣がある映画です。

 

あらすじ(TIFF公式サイトより引用)

ヴィクラムは腕の立つ警官で、自分なりに善悪の基準を持って行動していた。彼はあるギャング組織を追っているが、なかなか核心に迫ることができない。ある日突然、組織の中心にいるヴェーダーという男が自首し、彼なりの善悪の基準をヴィクラムに話し始める。それを聞いたヴィクラムの世界観は揺らぎ始める。


私は8月末頃に英語字幕で鑑賞しました(有料配信されてます)。なかなか唸らせる内容だったのと、この映画のベースとなっている昔話がちょっと気になり…。

今回は公式ページがある映画の話はそこそこに、昔話の方の事を書きたいと思います。

 

この昔話っていうのが、カーヴェリ川長治さんの記事によると、「ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー」というものだそうです。日本では「屍鬼二十五話」というタイトルで東洋文庫が出ています。

 

文庫は絶版になっていたのですが、せっかく日本語字幕で観れるチャンスがあるんだから、と、えいやっと買ってみました。(中古はくたびれてそうなのでオンデマンドの方を買いました)

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指と比較。まあまあでかいし分厚いw

 

あらすじはこんなかんじ

昔、トリヴィクラマセーナ王という名高い王様がいました。その王様のもとに、毎日果物を献上する修行僧がいました。果物は毎回宝庫管理官の元に預けられていました。ある時、ふとしたきっかけで、その果物の中には高価な宝石が入っている事がわかりました。そして、毎日保管されていた果物は倉庫からなくなっており、代わりにいくつもの宝石がありました。王様は修行僧にわけを尋ねると、修行僧は自分の呪術を叶えたい、そのためには一人の勇気ある者の手助けが要るという申し出をしました。王様は今までの献上品に報いるため、その申し出を承諾しました。

約束の時、約束の地に王様が行くと、そこはいくつもの死骸と骨、禍々しい生き物や亡霊がはびこる墓地でした。そこに修行僧がおり、王様に対し、南の方角にある樹にぶら下がっている死体をはこんできてほしい、と言います。王様は約束に従い、その死体を修行僧の元に運ぼうとしますが、その死体には屍鬼が憑いていました。そして、屍鬼は王様に語りかけ始めたのです。「王様、道中の気晴らしに、ひとつ物語をしてさしあげましょう。聞きなさい」

 

…といって始まるのが、屍鬼が話すお話です。屍鬼は短いお話の最後に毎回王様に謎かけをします。聡明な王様は毎回的確に答えるのですが、その度に何故か王様の担いでいる死体は元にあった樹まで戻ってしまうのでした。義理堅い王様は修行僧との約束の為、また樹の所まで行き、死体を担いで歩き始めます。その道すがらまた屍鬼が話し始めるのです。

 

お墓や死体やおどろおどろしい表現があるので、ちょっとホラー仕立てです。

構成からすると「千夜一夜物語」に似ている?登場人物の一人がもう一人に短い(時々ちょっと長い)話をする流れ、あんなイメージです。

 

映画「ヴィクラムとヴェーダ」では、映画の冒頭にアニメーションがあります。それが「屍鬼二十五話」をなぞってあり、ベースにしてることがわかります。キャラクターは、王様トリヴィクラマセーナがヴィクラム、屍鬼(カタカナにするとヴェーターラ)がヴェーダにあたります。ちょっと名前が似せてあるもよう。ギャングのヴェーダが警察のヴィクラムに何度か話をしますが、ヴェーダの喋る前と後で状況が違って見えるのが面白いです。

王様は出てこないし、ヴィクラムが死体を運ぶわけじゃないし、短い話が25も入ってくるわけじゃないですが、どことなく「屍鬼二十五話」をベースにしてるな…っていうのが感じ取れます。

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ヴェーダがヴィクラムに後部座席から話しかけるさまが、死体を担いでる間に屍鬼が話すイメージにちょっとリンクする…。

 

この屍鬼の話す物語たちが結構面白かったです。どれもインドが舞台になっているので、人名や地名で聞き慣れない固有名詞がたくさん出てくるのはもちろん、独特の比喩などにも読み辛さがあるのですが、慣れてくるとその比喩も面白いです。「朝が来た」「夏が終わって秋になった」ってだけでもめっちゃ回りくどい表現をしてたり、この世のものじゃないレベルの美女が出てきたら美人っぷりをそりゃあもう凄い表現で説明してたりw そういえば私インドの説話読むの初めてでした、もしかしたらインドの他の説話と同じ感じのクドさかもしれません。

普段活字はあんまり読まなくて、読んだとしても実用本とか写真がいっぱい載ってる本とかばっかりな私ですが、短編集の形である程度区切りがあるのが良かったのか、気楽にサクサク読めました。

 

屍鬼の話す物語は24あります。そして24番目の話が終わったあと、25番目の話で王様トリヴィクラマセーナと屍鬼の物語にも結末が訪れます。内容は伏せますが、最後の話が「ヴィクラムとヴェーダ」にも通じる内容かな?と思ったんですが、ちょっと深読みしすぎたかもwその辺は日本語字幕で観る時に確かめてみたいと思います。

 

本読んでなくても映画は十分楽しめると思います。私も映画が先のクチなので。でも映画気に入ったら「屍鬼二十五話」を復習として読むのもオススメです!

 

 

余談:タミル映画だからベースの話もタミルの話かと思ったらそこは関係ないっぽい(詳しくは「屍鬼二十五話」内の著者解説参照)